宮島様
 
一昨日、日本から戻り
今朝今回のメールを拝見しました。
献花に賛同させていただきます。
 
私は中山三穂さんご本人とは
あまり面識はありませんでしたが、
とても明るく元気な方と伺っていました。
 
中山三穂さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
江藤
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
了解です。ありがとうございました。 

東口
 
 
宮島殿、石谷殿、TENDERFOOTメンバー殿
 
中山さん令夫人の逝去につき、お悔やみ申し上げます。
謹んで令夫人のご冥福をお祈りしいたします。
 
石谷さん、連絡ありがとうございます。
確かにびっくりしました。
どこかで事業に失敗するとかはしょっちゅうでびっくりしませんが、
あの若さで逝去されるとは驚きとともに非常に淋しい気持ちです。
 
私の記憶している三穂さんは確かサワンガンバルーゴルフでご一緒し、非常に
常にGENKIでした。
その時のゴルフは全くやる気もなく、淡々と打って歩いていたというのが印象
でした。
あのときは確かにやる気は無かったけど、
ゴルフへの情熱は確かに無かったけど、
少なくとも確かにGENKIでした。
 
あんなにGENKIだったのに、、、、、、、残念です。
 
三穂さんのご冥福をお祈りしております。
 
PS:ジャカルタに住むメンバーさんもお体だけは留意してくださいね。
PS2:石谷おやじはGENKI?
 
以上、ブロックM本@神戸
 

 

宮島さん

ちゃこです。
日本からメールしてます。

中山三穂さんって誰か知らんと思ってたら、
中山くんの奥さんって。
としくんのミクシー読んでびっくりした。

お花のお金、立て替えておいてください。
9月まで戻りませんが、お願いします。

辛い話しやね。

では。

 

 
宮島様 /野口
 
まじですか...?
連絡ありがとうございます。
ハリムで二人仲良くラウンドされていた姿が思い出されます。
 
心より哀悼の意を表します。
 
 
 
忘れもしない6月20日、ホテル日航の梅(Mei)でした。
楽しい時間を提供して頂いた方の訃報に、言葉もありもせん。
運命とはわからないものですね。
 
冥福をお祈りいたします。
 
また、今後も一つ、一つもライブを大切にしていきたいと思います。
 
小川 和仁
 

 

辛いっすね…

 

雪の華の歌詞を読んで、ちょっと胸が熱くなった…

 

雪の華

のびた人陰を 舗道にならべ

夕闇のなかを 君と歩いてる

手をつないで  いつまでもずっと

そばにいれたなら 泣けちゃうくらい

風が冷たくなって 冬の匂いがした

そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる

今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 

眺めているこの瞬間(とき)に 幸せがあふれだす

甘えとか弱さじゃない ただ、君を愛してる

心からそう思った

 

君がいると どんなことでも 

乗りきれるような 気持ちになってる

こんな日々が いつまでもきっと

続いてくことを 祈っているよ 

風が窓を揺らした 夜は揺り起こして 

どんな悲しいことも 僕が笑顔へと変えてあげる

舞い落ちてきた雪の華が 窓の外ずっと

降りやむことを知らずに 僕らの街を染める

誰かのためになにかを したいと思えるのが

愛ということを知った

 

 し、君を失ったとしたなら 星になって君を照らすだろう

笑顔も涙に濡れてる夜も いつもいつでも そばにいるよ

今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 

眺めているこの瞬間(とき)に 幸せがあふれだす

甘えとか弱さじゃない ただ、君とずっと

このまま一緒にいたい 素直にそう思える

この街に降り積もってく 真っ白な雪の華

ふたりの胸にそっと 想い出を描くよ

これからも君と ずっと…

 

 

石谷

 

 
連絡ありがとう。
 
お子さんも小さいし無念の思いがいっぱいですね。
ご冥福をお祈りします。
 
お通夜か告別式でお線香をあげさせてもらいます。
 
永井 泰之
 
 
石谷様 および、みなさま
 
JETROの長尾さんから以下のお通夜と告別式の日程をいただきました。
私、本日から817日までに日本へ一時帰国いたしますので、なんとか告別式
に出席できればと思っております。
私が初めてテンダーフットに参加した際、一緒にラウンドしていただいたのが
三穂夫人でした。
あの頃のお元気な姿を思うと、お亡くなりになったことが信じられません。
ご冥福をお祈りいたします。 
 
中山さんの告別式に際し、生花をお送りいたしました。

札名は、「テンダーフット友人一同」といたしました。

取り急ぎ御連絡いたします。

 

望月

 
 
宮ちゃん。
ご無沙汰しております。
訃報を聞き大変驚いております。
ご冥福お祈り申し上げます。
 
テンダーフットで、何かされる際には是非
小生もお願い致します。
 
こちら、相変わらずネットのつながりが良く有りませんので
随時メールを見る事が出来ません。
申し訳有りませんが、宜しくお願い致します。
 
ミャンマーより    西本
 
 
連絡有難う。一瞬、誰の事か分かりませんでした。
中山君の奥さんが病気だったとは全く知らなかったので、本当に驚いています。
奥さんとは殆ど面識が有りませんが、ジャカルタ帰国後から闘病生活を送られ
ていたとは、ご本人も辛かったでしょうが、中山君の苦労と悲しみも大変なも
のだったのでしょうね。 
 
心からご冥福をお祈りします。
 
テンダーフットで何かするんですか?日本での弔電等が可能ならば、費用は割
り勘してください。
 
中川
 

宮島様
 

皆さんにご連絡してくださり、ありがとうございます。
 
私も主人の駐在でジャカルタに5年間住んでいまして、
4月の末に本帰国したばかりです。
 
中山さんとは同じアパートで、ほぼ同時期にジャカルタに来ました。
奥さんの三穂さんは、お互いがジャカルタでの初めての友達で、
いつも一緒に過していました。
子供も2ヶ月違いの子供がいて、生活パターンも似ており、
彼女がジャカルタにいた3年間は、毎日のように会っていました。
私は日曜日に会いましたが、最後まで明るくやさしい三穂さんで、
本当に悲しくて、今でも信じられないのです。
 
テンダーフッドのお友達の話はよく聞いていました。
中山さんがとても大切にしていた方にお知らせすることができ、
よかったと思います。
 
ありがとうございました。
 
石橋

 

 

Tenderfootメンバー各位

 

 皆さん驚かれたと思います。私も青天の霹靂でした。

 

 14日の夜、中山氏本人と電話にて話しましたので、要点をまとめてお伝えし

ます。

 

 お気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんが、三穂夫人は長男・翔

太郎君をご出産なされて戻って来られ、暫くぶりに有った時、妙にお痩せにな

っていました。

 出産後のホルモンバランスの変化や、様々な精神的な要因でそうなっている

のかと、あまり気にしないようにしていたようです。

 

 しかし、日本に戻られても一向に体重は戻らず、むしろ減り続け、最も軽い

時で37キロを下回るほどだったようです。

 

 不安な二人は、様々な医療機関を転々としましたが、納得の行く答えが得ら

れず、新宿の東京女子医大を訪れ、ようやく本当の原因が判明しました。

 

 スキルス性胃ガン

 

 それが、三穂夫人の病名でした。

 20065月に帰国し、この病名に行き着いたのが20069月末。

 スキルス性胃がんは、粘膜上に発生し、胃の筋肉層にもぐり込んで横に広が

り、隆起部がないため、正常な組織と癌との境界がわかりにくくなるそうです。

 そのためとても見つけにくいのが特徴のようです。

 

 しかも、余命3ヶ月との診断だったそうです。

 

 途方にくれた中山氏は、悩んだ末に、三穂夫人に告知することを決意し、共

に残された時間を有意義に過ごそうとしたようです。

 翔太郎君は未だ10ヶ月。彼の成長をもっと見たいという気持ちが勝ったので

しょうか? 宣告された3ヶ月を過ぎても病状は悪化せず、むしろ定期的に点

滴を受けることで、一時は出産前の体重にまで戻ったそうです。

 

 様々な年間行事(誕生日・結婚記念日等など)を身近な目標に、一日でも長

く一緒にいたいという気持ちを強め、家族三人一丸となって、病魔と戦い続け

たそうです。

 

 しかし、病気は着実に三穂夫人の体を蝕み、2008年春に悪化。入院生活が始

まったそうです。

 

 しかし、気丈な彼女は、病室でも明るく気さくな、我々が知っている三穂夫

人のままだったと、ジャカルタで同じマンション住んでいた友人の方がおっし

ゃっていました。

 

 7月、一時帰宅が許され、自宅で家族三人、水入らずの時を過ごしたそうです。

 すでに、口から食事を摂取できない三穂夫人でしたが、自宅で「ジャワティ

ー」を飲んで、ジャカルタでの生活を懐かしんでいたそうです。

 それが、彼女が口にした最後の飲み物だったと、中山が言っていました。

 

 2008812日 午前1030

 遂に力尽き、徐々に心拍が落ち、本当に眠るように逝ってしまわれたそうで

す。

 

 中山氏は、かなりサバサバした口調で、一気に話していました。

 2年余りの闘病生活の中で、既に覚悟を決めていたのでしょう。 いや、かっ

こつけしいのあいつの事だから、一生懸命、芝居をしていたのかもしれません。

 

 私は最初、なんと声を掛けたら良いのか、本当に言葉が見つかりませんでし

た。

 20065月の中山夫妻送別会の時の、三穂夫人の姿が思い出され、翔太郎君

の愛らしい姿を思い出すと、胸が締め付けられる思いでした。

 

 しかし、元気そうな中山の声と、流暢に話す翔太郎君の声を聞いて、安心し

ました。

 きっと、三穂夫人の分も、元気に立派に歩み続けられると、確信しました。

 

 思い起すままに書きなぐった(?打ちなぐった?)ので、読みづらい部分もある

と思いますが、以上が中山との会話のすべてです。

 

 相変わらず、人の話など聞かずに、一気に自分の話したい事だけ、30分以上

話していた中山。あんまり変わっていないみたいです。(笑

 今度一時帰国したときには、線香の一本でもあげてきたいと思います。

 

 

石谷




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